清代の離宮・頤和園

 

北京の北西郊外にあるは中国に現存する最も規模の大きな、最も完ぺきな形の皇室庭園である。北方の山川の雄壮さ、江南水郷の秀逸さ、皇居の華麗さ、そして民間の邸宅の精緻さをもそなえ、中国で最も美しくて、最も有名な古典庭園である。庭園内には宮殿区、万寿山と昆明湖など三つの区域に分けられ、敷地面積は290ヘクタール。

 

 

東宮門から入ると、仁寿殿を中心とした宮殿区が見えてくる。仁寿殿は皇帝が政務を執る所、玉瀾堂は西太后が光緒帝を幽閉した所である。光緒帝の皇后は玉瀾堂の後ろにある宜芸館に住んでいた。その北西にある楽寿堂は西太后が住んでいた所である。仁寿殿の北にある徳和園は清の時代に建てられた最大の芝居の舞台。

 

 

楽寿堂から西へ向い邀月門を経ると、長さ728メートルの長廊のとことに着く。これは中国庭園建築の中でも最も長い回廊で、昆明湖の北岸に沿って西に伸び、五色の帯のように庭園内の建築物を結び付けている。回廊に描かれている8000の絵は中国の歴史物語の題材を取り上げたもので、中国の伝統文化を提示する場所となっている。

 

排雲殿は山の地勢に沿って万寿山の南側に建てられ、階段を登っていくと、万寿山の最大の建築物である仏香閣にたどり着く。仏香閣は3階建ての建物で、八つの表と4重の軒がある。仏香閣の東には転輪蔵、西には207トンの銅を使って造られた宝雲閣がある。万寿山の頂上には「智慧海」と呼ばれる梁のない長屋、山の後ろにはチベット仏教の寺である「八部神州」、裏山の麓には昔の商店街である蘇州街がある。

 

 

清晏舫は、別名「石舫」とも言う。全長36メートル、すべて白色の石で築き上げられている。もともと、上部の建物は中国式の楼閣だったが、英仏連合軍の焼き討ちの後、1893年に慈禧太后が現在のような洋式の楼閣船に建て直した。頤和園の中では唯一の洋式建築である。

万寿山の南は青く澄みきった昆明湖で、その上に「竜王廟」などの小さな島や、橋脚によって川のアーチがつくられた橋、玉帯橋などが遥遥か彼方の万寿山と向い合うようになっている。頤和園は国内外の観光客の間で人気のある名勝旧跡となっている。1998年に国連のユネスコによって『世界の文化遺産』に登録されている。

 

「チャイナネット」2008年11月28日