お茶の起源と普及
 

お茶の起源
  中国は茶の木を最も早く発見し、利用した国であり、お茶の祖国とも言われている。文字の記載が示しているように、中国の人たちの祖先は3000余年前に茶の木を栽培し、利用するようになった。しかし、いかなる種の起源と同じように、お茶の起源と存在は必然的に人類が茶の木を発見、それを利用する前からあったことであり、長い歳月を経て、発見・利用されるようになったのである。人類がお茶を利用するようになった経験は、代々伝えられることによって、一部の地域からだんだんと他の地へ広がっていった。さらに長い歳月を経て、文字で記載されるようになった。茶の木の起源の問題は、かねてから論争の的となっている。考証技術の発展と新しい発見に伴って、共通の認識をもつに至ったのである。すなわち、中国は茶の木の原産地で、雲南省、貴州省、四川省を含む中国の南西地区は茶の木の原産地の中心であると確認されている。地質の変化と人手による栽培で、茶の木はそこから他の地へ広がり、全国へと普及し始め、次第に世界各地へ広がっていった。

お茶の普及
  中国は茶の木の原産地であるが、しかし、中国のこの面における人類に対する貢献は、主に最も早くお茶という植物を発見し、それを利用し、それを中国、アジアひいては全世界でさんぜんと輝く独特な茶の文化に発展させたことにある。 中国における茶の栽培、利用は、巴蜀(四川省)に発祥し、その後、東部と南部に伝わり、全国へと普及した。唐の時代には、日本と朝鮮に伝わり、16世紀以後、欧米に導入された。そのため、お茶の歴史は、国内と国外の二つに分けられている。宋代においてお茶を飲んでいた地域は、ほぼ現在の地域と一致している。お茶の国外での普及の面で、中国の茶の葉、茶の木、茶を飲む習慣、茶の加工技術は、中外文化の交流と貿易の展開にともなって全世界に伝わったのである。最初に日本、朝鮮、その後南の海のルートによってインドネシア、インド、スリランカなどへ伝わり、16世紀には、ヨーロッパ諸国に伝わり、アメリカ大陸にも伝わり、また北部はペルシア、ロシアに進出した。 唐の時代の中葉、中国のお茶の種が日本で栽培され、茶の木は世界に伝わり始めた。文献によると、西暦805年、日本の高僧最澄は、天台山国清寺から帰国した時、お茶の種を持ち帰り、それを日本で栽培した。これは中国の茶の種が外国に伝わった最も古い記載である。その後、日本の僧侶の南浦昭明が径山寺で径山茶宴、闘茶などの習慣を身につけ、日本に持ち帰り、これをふまえて日本みずからの茶道を形成するようになった。インドは粉末紅茶の生産、輸出の最も多い国で、その茶の種のルーツは中国にある。インドにも野生の茶の木はあったが、インドの人たちは茶の木の栽培とお茶の飲み方を知らなかった。1780年になって、イギリス人とオランダ人が中国から茶の種をインドに輸入して茶の木の栽培を始めた。現在、最も有名な粉末紅茶の産地はアッサムである。それも1835年頃に中国から茶の種を導入して茶の木を栽培し始めたのである。中国の専門家はかつて茶の木の栽培と加工方法の指導に行ったことがある、その中には小種紅茶の加工技術も含まれていた。茶を刻む機械が開発されることによって、粉末紅茶が現れ、世界中で一般の飲み物となった。 欧米諸国の「茶(ティー)」という言葉は、ほとんど当時海上貿易港であった福建のアモイと広東の方言の中の「茶」の発音からのものである。中国は茶の呼称、お茶についての知識、茶の木の栽培、加工技術を世界に伝えたのであり、世界各国の茶は、直接あるいは間接に、中国の茶とつながりがある。

 

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