魯迅の『喝茶』
 

  「上品なお茶があり、上品なお茶を飲むことが出来るのは一種の幸せであるが、こんな幸せを楽しむのはまず暇が必要で、次は鍛えられた特別の感覚である」これは魯迅の『喝茶(お茶を飲む)』という雑文の中の言葉である。
  魯迅は茶の里に生まれ、お茶を飲むことが彼の一生の好みであったから、その文章にはお茶について多く触れられている。二十年代の北京には茶店がいたるところにあった。魯迅も北京にいるとき、よくお茶店の客だった。これもその日記の中で多く触れられている。一番よく行ったのは青雲閣で、お茶を飲むとき、お菓子も一緒に食べることが好きで、飲みながらお菓子を食べ、いつも友たちを誘って行き、夜に帰ってくるのだった。三十年代の上海は夏になると、道路両側のお店の前に茶桶を置き、往き来する人たちの疲れをいやすためにお茶を提供していた。魯迅の日本の友人内山完造氏は上海の四川北路で書店を開き、その店の入り口の前にも茶桶を置いた。魯迅はそれを知ると内山氏のやり方に大いに賛同し、何回も茶の葉を贈り届けてともに往き来する人たちにお茶を提供した。偉大な文学者、思想家として、名利に淡白で、民衆のことに関心を抱きがけて一生を送り、そのお茶で友情を深め、お茶を民衆に与える精神は中国の茶文化にさらに輝きを添えるものであった。

 

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