お茶についての諺
 

  茶についての諺は中国茶文化の発展の過程でから生まれたいま一つの文化現象である。諺というと、許慎の『説文解字』では「諺は伝言だ」といわれている。即ち、衆人が口々に伝え、言いやすくて覚えやすく、しかも哲理のある俗語である。茶についての諺がその内容と性格から、茶の飲用と生産の二種類に分けられる。これは茶の飲用と生産経験についての総括と表現であり、諺という口承の形で世に残されることになったのである。したがって、茶についての諺は中国の茶学と茶文化の貴重な遺産であるばかりでなく、中国民間文学の一輪の美しい花でもある。
  茶についての諺は茶と同時に現われたのではなく、茶の生産と飲用が一定の段階に発展したときに生じた文化現象である。中国では茶の栽培と飲用の歴史は非常に長いが、茶についての諺の記録は唐の末期に蘇広の『十六湯品』に初めて見られるのである。
  中国のすべての古代の茶についての本と関連文献には茶の作り方と保存方法についての諺がたくさんあるが、茶の栽培についての諺がほとんど見当たらない。やっと明・清時代に「茶は草であり、若い竹は宝だ」、及び『月令広義』の中の「善く蒸すは炒めるに及ばず、善く干すは善く炙るに及ばない」という二つの記載がある。古代においては茶の保存と湿り気の予防には主に竹を使っていた。若い竹で口を封じ、また、細くした若い竹を茶の中に入れるやり方は、焼いた灰の中に埋めて保存することや炙る篭に保存するなどより、すごく簡単である。二番目の諺にある「善く蒸すは善く炒めるに及ばない」とは青蒸しより青炒めがよいという意味、「善く干すは善く炙るに及ばない」は青干しより青炙りがよいという意味である。この諺は一部の地区の人々がさまざまな緑茶を推賞し好んでいたことの現われに過ぎない。ところが、この二つの諺は当時と現在いずれも茶の生産と保存に積極的な役割を果している。
  その外に中国の浙江省、湖南省、江西省では茶の生産技術についての諺がわりに多い。ここで浙江の茶諺を例にして分析しよう。
  茶の木を植えることについての諺には「千茶万桑、万事興旺(たくさんの茶の木と桑の木があるとすべての事が盛んになる)」という句がある。浙江省西側の開化あたりには「千杉万松、一生不空、千茶万桐、一世不竆(千本や一万本の杉と松の木があれば、一生は空にならない。千本や一万本の茶と桐の木があると、一世貧乏にならない。)」などがある。これらの茶についての諺は二十世紀の中期に集められたものだが、果樹栽培の諺と比べて見ると、明や清の時代或いはさらに古代からの諺であることとが分かる。浙江省には茶を摘む諺の量がたくさんあり、広く伝わっている。杭州あたりの諺のみを例にすると、最も代表的な諺には「清明時節近、采茶忙又勤(清明節が近くなり、茶を摘むことが頻繁で忙しい)」「谷雨茶、満地抓(殻雨の茶は盛んでせわしく摘むことになる)」「早采三天是個宝、遅采三天変成草(三日間早めに摘むなら宝で、三日間遅れて摘むと草になる)」「立夏茶、夜夜老、小満過後茶変草(立夏になると茶が早く古くなり、小満を過ぎれば茶は草になる)」があり、さらに「頭茶不采、二茶不発(最初の茶を摘まないと、新しい茶が出ない)」「春茶留一丫、夏茶発一把(春茶を一叉を残せば、夏茶が多く出る)」「春茶苦、夏茶渋、要好喝、秋露白(春茶は苦み、夏茶は渋み、おいしいお茶は秋頃のもの)」などなどがある。以上の諺はいずれも茶を摘む時期を指し示すものである。ここで指摘する必要があるのは、史書から見れば、唐代以前は秋の茶を摘まないようだが、唐代になると、特に唐代の中期以後、中国の茶業の発展につれて、秋茶の取り入れと加工がしだいに盛んになった。だから、「春茶苦、夏茶渋、要好喝、秋露白(春茶は苦み、夏茶は渋み、おいしいお茶は秋頃のもの)」という諺は昔から伝わっていた古い諺で、秋茶の質が春茶より良いという意味ではなくて、人々に秋茶の取り入れを呼びかけているだけである。

 

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